浅草岳の夜明け
このクラブは昭和54年11月、障害児の地域子供会として設立されました。会を続けるための理念は大切で、以下の5つの柱に基づいて活動を続け、30年経ちました。
①障害児の余暇活動の保障(遊び場の提供)
②地域的なインテグレーションの保障(どんな子も一緒に、今で言うノーマライゼーションの先駆けですね)
③青年ボランティアの育成(人間として豊かに育とう)
④父母兄弟の連帯(特に兄弟姉妹への充分な遊びの提供)
⑤地域社会資源の理解と活用(関連機関とのネットワーク形成)
会の継続は理念だけでは続けられません。特にスタッフの都合で会活動を終了いたします、これは参加している、また沢山の待機の子どもたちに対して申し訳が立たない。
発足当時、スタッフ5人、こども7人の小さいグループから出発しましたが、すでに待機のお子さんがあり、早急にスタッフ体制の組織化を図る必要がありました。まず、都立府中リハビリテーション学院(現首都大学東京保健福祉学部)にクラブができ、東経大、学大、日本女子大、津田塾大、一橋大と次々に学内組織をつくっていくことができました。これは当時優秀な学生たちが奮闘し、グループダイナミクスを形成していったように思います。
秩父小鹿野の歌舞伎
「一人一芸」 これはスタッフの合い言葉で、子どもたちに対してノンバーバル(言葉によらないコミュニケーション)なコミュニケーションを大切にしていこう、と言う意気込みでもあったのです。いろんな名物スタッフを沢山排出しましたが、通常地味なスタッフであってもひとたび芸にはいると子どもたちを虜にしてしまう能力、人間とは潜在的な能力を多く持ち、子どもたちだけでなく、青年たちも成長できる場であったのです。
会発足のきっかけは、私の元職場、こどもの発達センターの卒後ケアーの依頼がOB児童のお母さんからあり、いろいろ検討した結果、他の児童からも多くの手が上がり、地域の障害児子ども会組織として始めることになりました。私もまだ若々しい時代で、何とか4人のメンバーを集め、5人のスタッフで GO! ということになったのです。
今年11月21日(土)発足30周年記念事業が開かれます。私も参加させていただき、昔のメンバーと交流したいと思っています。もうみんな良いおっさん、おばさんになったでしょう!!

コメントする