『島を愛す』礼文島の巻

写真集

 北海道礼文島にある桃岩荘ユースホステルの写真集を購入しました。 『イヨマンテの夜』と言う伊藤久男さんの歌が好きだったので、歌詞を見つけるためにネットで探していたら、たまたまこの写真集に出会いました。 

1968年のパンフレット

 モノクロでとっても地味な写真集ですが、私が最初に行ったのが1968年(S/43)で、やはり色の無い写真が主流の時代でした。この時は中学校からの友人と2人でリュック担いで、16歳でしたかね。周りの旅人は大学生や社会人ばかり、カニ族の時代です。桃岩荘YHの開所が67年と言うことなので、2年目ですね。やたらとヘルパーさんが元気でしたよ。

TCA会員証

 2回目が1970年(S/45)、ランドナーで38日間北海道一周した時でした。 その時代はチッキという配送の仕組みがあり、荷物は駅留めが利用できました。ですから国分寺駅から札幌駅に送り、ランドナーは輪行で持って行ったわけです。その頃、競輪選手とTCA会員ならば、百円で国鉄輪行が利用できたように思うのです。多分、ん~多分。

68年の桃岩荘

 ランドナーで行ったときは、テント泊、YH、駅そばの宿を利用していました。YHが450円~500円、駅宿は千円以下でした。私みたいのが珍しかったせいか、駅宿の待遇はとても良かったです。北海道は特に流通経路が整っていなかったので主要駅近くには行商人が泊まる宿があったのですね。

 全行程費用(国鉄含む)は確か4万五千円ほどでした。奨学生だったのでバイト代を貯めて、カツカツの旅でした。カツカツし過ぎて、少し余りました。

70年の時

 68年の時、桃岩荘で「島を愛す」と言う歌を覚え、良く歌っていました。 TBSラジオの番組で、北山修が司会の歌番組に出演する機会(TBSホール)があり、「一千百万人の音楽」だったかな? この歌をアカペラで歌って合格(録音あり)したことがあります。70年の時は桃岩荘オーナーの紹介で昆布干しのバイトもしました。礼文島のコンブは幅広で長く、結構重労働でしたよ。まあいろんなことや出会いがありましたね。そんな話は機会があったらまた。

50年前のじ~じ

 確かランドナーはF3枚・R5枚の15段の仕様だったと思います。髪はフサフサです。着ているヤッケは黄色、登山用を流用していました。まだ持っていますよ。

 北海道は結構行く機会はあるのですが、なかなか礼文までは。でも死ぬ前にもう一度行ってみたいですね。

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