「こだわり」にこだわらない こだわり をもつことの必要性②の巻


 自閉症協会機関誌に「強度行動障害」の記事がありました。 これはつくられる症状と言っても良いでしょう。 私も何人かの例を観てきていますが、療育教育者がそうさせてしまっている例もあります。もちろん、親御さんもその中に入る場合もあるでしょう。


<例> 支援学校でちょっとしたルール違反をしてしまった児童、それを注意した教師。そこから始まりました。 その教師は真面目な方で、再び事が起こらないようにとその児童を注視していました。 で、たまたまその児童が類似した行動を取ったために即注意。 何回かの注意で児童は段々その教師の前で同じような行動を繰り返すようになりました。 教師は当然エキサイトしていきます。この児童は障害児学級(支援学級)に在籍していましたが、対応が難しく養護学校(支援学校)に転校したばかりで、送り出した人間(発達センター側)としては、学校を見学し逆に注視していました。残念ながらこの事例は泥沼に入り、その後、入所施設に入ることに。 しかし、全日を管理することにより、落ち着いてきたことは幸いでした。 教師は教師らしい行動を取ったのですが、児童の障がい理解・行動理解が足りなかったのですね。 何故その様な行動を取るのか? それが良いことでも悪いと言われることでも理由があるはずです。 周りの人間の対応は適切だったかを常に考えるべきでしょう。


 全部の児童がそうではありませんが、やってはいけないことをコミュニケーションボードやカードで学習しているので、それなりに理解している児童は結構います。 その指示の仕方によって、児童の情動傾向によって反応は替わってしまうのですね。


 発達センター時代、ガラスを叩く児童がいましたが、口頭注意では収まらず、思案し、「がらすはたたかない」の文字カードを作り示したところ、一件落着した事例がありました。何によってコミュニケーションが一番取れるかも重要な因子になってくるでしょう。

 さわらび教室に通う支援学校児童、イライラしている時などよく鉛筆を投げてしまいます。 私はほっておきます。 すると自分から拾いに行きます。こちら側の反応によって次の行動が方向付けられることもあるのですね。 続く。

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